過去に歩んできた一歩一歩が、今のクリエイティブに生かされる。クリエイターにとって、発想の種とも言える、彼らのバックグラウンドについて迫る連載企画。第二回は、株式会社ディー・エヌ・エー(以下DeNA) グラフィックデザイナー 竹尾太一郎さんです。
スタイリッシュで洗練されたものから、愛らしくて親近感を覚えるようなものまで、これまで彼が手がけてきたデザインはとても幅広い。いくつもの作品を見て「これは同じ人が作ったの!?」とつい疑ってしまうほど、まるでカメレオンのようにプロダクトに寄り添い、デザインを生み出しています。
留学、デザイン事務所、デザインプロダクションと、これまで重ねてきた経験から学べることは多いはず。そんな竹尾さんに、現在に至るまでのお話、そしてデザイナーという仕事への向き合い方について伺ってきました。
前編は竹尾さんの子どもの頃から、現在のDeNA に入社するまでのお話をご紹介します。
小さい頃から、ずっと絵を描いていた男の子でした
竹尾さん:
昔から、クラスに1人はいるような絵がうまい男の子でした。寺田克也さん(イラストレーター/漫画家)が好きで、そこから彼が影響を受けた大友克洋さん(漫画家/映画監督)やメビウス(漫画家)を知って、3人の絵の模写ばかりしていました。
ずっと絵ばかり描いていたので、高校のときに将来何しようと考えたら、大学に行って勉強を続けていくイメージがあまり湧かなかった。もう根っからの美大に進学するしか道がない子でしたね。高2のときから通った画塾の先生が「絵を商業に使うとしたらグラフィックデザイン科がいいんじゃないの」とアドバイスをくれて、それからグラフィックに行こう、と。
−−その後美大に行かれて、大学時代はどういう風に過ごされてきたのですか?
んーあまり勉強はしていなかったですね(笑)。絵が書ける学校なのかと思ったら、授業では広告とか、ビジュアルコミュニケーションの課題が多かった。僕はあんまりそういうのが得意じゃなかったんです。
かっこいいと思ったものをただ描きたかったのに、そうじゃない広告も作らなきゃいけない。もっといいものがあるんだけどな……と思ってました。そんな風に思いながら「この商品いいですよ!」みたいな、商業的なグラフィックを作りたくなくて。だから僕はグラフィックデザイン学科だったけど、広告系ではなくアート系の授業ばかり選択していました。
−− 思ってたのと違う!ってなったんですね。そこからデザイン業界に進まれたきっかけはなんだったのでしょうか?
大学3年生の時に、任天堂さんが主催するゲーム制作のセミナーに参加したことがきっかけです。ディレクターもプログラマーもデザイナーもみんな学生で、10 ヶ月かけてニンテンドーDS のゲームを作ったんですよ。
キャラクターやタイトルロゴを作る中で、ユーザーを意識して形にすることが難しくて。デザインを通じて、ユーザーとコミュニケーションするという感覚を初めて知りました。これまで絵ばかり描いてきたのですが、ビジュアルコミュニケーションやタイポグラフィって面白い!ってなってしまって。
そう気付いたのが大学4年生の時。この先について考えると、「このまま就職したくない…」と思ったんです。僕はまだ絵しか描けないと。勉強したい気持ちが湧いてきて、卒業後サンフランシスコの美大に留学しました。
デザインが「日本っぽいね」と言われて
−−その後、アメリカでさらにデザインを学ばれたのですね。留学時代になにか感じられたことはありますか?
クラスメイトに「太一郎のデザインはすごく日本っぽいね」と言われました。それが良いのか悪いのか当時はわからなかった。ちょっとバカにされてんのかな?とか思いながら(笑)。当時は一生懸命外国人にうけるデザインを作ろうとしていたかもしれません。
最初はクラスの絵がうまい子と結局お絵描きバトルになっていたのですが、僕は途中から絵を描かなくなりました。意識的に、作るものを文字だけに絞ったんですね。あまり伝わらないかもしれませんが、僕の中ではその選択はすごくアメリカ人に寄せたかもと感じたんです。今思えば、それが僕のデザインのターニングポイントだったかなと。
−− 絵が得意な竹尾さんが、どうしてタイポグラフィを選ばれたのですか?
別のタイポグラフィの授業で、書体をデザインする課題があったんです。大量のスケッチから何度もブラッシュしてデジタルの文字に起こしていく。そうやってしっかりと作り上げていくと、すごく良い形ができる。
ただのソリッドな図形なのに、その背景で積み重ねて描いてきたもので成り立っているというのが自分で作ってみてすごく腑に落ちました。「(絵じゃなくて)これだけでいいじゃないか」と思ったのがきっかけですね。
二人のクリエイターに影響されたデザインプロダクション時代
−− 留学後は日本に戻られて、デザイン事務所artless Inc.で働かれていたそうですね。その中で心に残っていることはありますか?
川上さん(artless Inc.代表)には、とても影響を受けました。川上さんは、良い意味で緻密ではなく、センスと瞬発力の塊みたいな方でした。
あえて遊びを残しながら、その場で生まれるひらめきやグルーブ感をより大事にしているようなところがあって、確信犯的にそうしているようでした。突発的に発生するクライアントとのセッションで成り立たせるのに、最終的なアウトプットはしっかり彼のフィールドに落ちて良いものが出来る。そういう流れを驚くほど自然にやっているので「ああこんな人もいるんだ!」と思いました。
−−デザイナーさんはみなさんそういう瞬発性のようなもので次々と生み出しているようなイメージがあったのですが、そうではないのですね。
水野学さん(アートディレクター)の『センスは知識からはじまる』という本があって、内容は別に読まなくてもいいかもしれんと思うくらい良いタイトルの本だと思うんですけども(笑)。
まさに川上さんは、センスでなんでも作ってしまえるようで、実は普段から自然に大量のインプットをしていて、それをその時々でアウトプットしているだけ。それがセンスというのだと思います。
その後に転職した日本デザインセンターの原さん(日本デザインセンター代表)は、瞬発力は言うまでもないですが、様々な知識や経験を精緻に組み合わせて、常に最適に整頓された引き出しを丁寧に開けることができる。いつでも準備万端で隙のない方でした。プレゼンは、コピーライターが書いたかと思うほど一言一言が完成されていて。側でプレゼンを聴けたのはとても勉強になりました。
−−お二人に影響を受けられたのですね。
川上さんと原さんとではスタイルが違いますが、大いに影響を受けました。結論、どちらも僕には真似できないんですけどね(笑)。
よりお客さんと近い場所でのクリエイション
−− その後、DeNA に入社されたと。転職のきっかけはなんだったのでしょうか。
そもそも絵やゲームが好きだった僕は、下地がエンタメ寄りなんです。これまで一般的に見てスタイリッシュなデザインを手がける二社を経て、スタイリッシュなポートフォリオが出来上がっていくんですけど、よりエンタメ的なことがしたいという思いが徐々に芽生えてきました。
僕のようなキャリアの人間がメガベンチャーと呼ばれる会社に入ったら、どんな仕事ができるのか、何の役に立てるかということへの興味もあった。何か面白いことができるかもしれないと思って、DeNAに入社しました。
入社後、初めはゲームのアイコンも作りましたが、現在はコーポレートブランド周りや、新規事業やサービスのロゴ、車両の外装・内装のデザイン、よりユーザーに近いものを作っています。サービスがリリースされたあとは、以前よりもエゴサーチするようになりました(笑)。自分で作ったものをかっこいいとかかわいいとかいう声があるとモチベーションが上がります。
−−私達が直接使うものをデザインするようになったのですね。
プロダクションにいると多くの仕事は受託なので、消費者からしたら誰が作ったのか分かりにくい面があります。あまり消費者のリアクションが届かないんですよね。インハウスデザイナーになってよかったと思うことは、そのプロダクトやサービス自体を作っている人になれたこと。
今までは「こういうものを作ろうと思ってるのでお願いします」と言われて作っていたんですけど、ここでは初めから一緒にみんなで作れる。自分達が作ったものと言える感じがして。それが楽しいですね。
後編は竹尾さんのデザイナーという仕事への向き合い方についてご紹介します。
artless Inc.、日本デザインセンターを経て2015年よりDeNA入社。
企業・サービス等のロゴデザイン、ブランディングをはじめ、広告、パッケージ、サイン、UI、書体設計など様々な媒体の制作を担当。DeNAではオートモーティブ事業、スポーツ事業、コーポレート事業などのデザイン業務に従事する。