毎週日曜の午後になると、月曜が憂鬱で仕方ない。
仕事なんて、楽しくない。
だけど、やらなくちゃ。

そんなおとなをたくさん見てきた。

仕事は人生の一大イベント。
毎日働くなら、楽しくやりたい。
やりがいだって見つけたい。

そんな思いを抱えながら社会人の道を歩み始めた筆者が、広告に携わるクリエイターやマーケッターに、仕事の内容はもちろんのこと、仕事に対する考え方や発想の源、仕事への取り組み方、成功したこと、失敗したことや下積み時代の話を伺い、その中から“仕事にときめくための100の方法”を見つけていく連載企画。毎回インタビューの最後に、学んだ方法を紹介する。

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 第一回のインタビュー相手は、越智一仁さん(株式会社電通)。今最も注目されているクリエイタ―のひとりだ。 越智さんが手掛けた王子ネピアのブランドフィルム「Tissue Animals」は海外で火が付き、アヌシー国際アニメーション映画祭では最高賞にあたるクリスタル賞を受賞。また、昨年手掛けられた宮崎県小林市のPR動画「ンダモシタン小林」が、地方自治体PR動画の先駆け的存在となり、Webメディアはもちろん、多くのマスメディアでも取り上げられたことは記憶に新しい。今年3月には、セイコーのブランドミュージックビデオ「Art of Time」を手掛け、ブランドPR動画の新しい形を作り上げた。ヒットを出し続けることが難しいWeb動画の世界で、いくつものヒット動画を手掛けている。

 そんな華々しい活躍をされている越智さん、実は下積み時代が長かったのだという。越智さんはどのような道のりを経て、今の活躍に至るのか、どのような思いを持って仕事に取り組んでいるのか。Web動画のことはもちろん、仕事に対する思いを伺った。

 


 

「動画作って見せて、みんな移住ってしますかね?」って言ったんですよ。

 

――小林市のPR動画やネピアの動画を拝見して、こういう企画ってどういうふうに出てくるんだろうって率直に思ったんです。越智さんが企画を作る時に意識されてることはありますか?

 そうですね、上限とか予算とか、条件は仕事によってまちまちですけど、少しでも課題を解決したり、最大限の効果を出さなきゃと思っています。

 ここ最近いろんな仕事をして思うようになったんですけど、うまいアイデアを練ったり、ストラテジー(戦略)をきちんと考え抜けば、割と低予算であってもできるんだなって。ネピアや小林市の事例が僕に自信をくれた部分でもあるので、そこは継続したいなと。

 相当不利な状況の中、必ずしもクライアントさんとのオリエンに答えがあるわけではなくて。たとえば小林市だったら、(市が)市民と一緒にやっている運営Facebookページがあって、すでに2,000人くらいファンがいるな、だったら少なくともそこを起点にシェアしてもらえそうだな、とかそういうのがヒントになったりする。そういうリサーチ的な部分できちんとした下地を作る、そしてできるだけ結果につながるように頑張るっていうのをやってますかね。


出典:宮崎県小林市 移住促進PRムービー "ンダモシタン小林"

――なるほど。

低予算の中でも、小林市のPRは動画という方法を使っていましたが、PRには必ずしも動画が有効なのかという素朴な疑問を抱いているんですけど

  僕もまったく同じ意見で。最初依頼された時に、「今年は動画作りたいんです」という要望があったんです。年間4本作りたいというのがあったけど、最初僕は、「動画作って見せて、みんな移住ってしますかね?」って言ったんですよ。市長にもどういうふうにやっていけばいいですかねっていう話をしに行った時に、「前提として、動画で移住者を増やすということは相当難しいでしょう」って。

 

――動画を見ただけでは住もう、とはならないんですね

 「そこはご理解くださいね」という話はしました。まずは移住のファクトを作らないと(移住してもらうのは)無理な話で。だから市長とか市役所の人に話したのは、「まずは認知を取りましょう」と。きちっと認知を取ると、市を出て行った出身者が思い出してくれるというか、「うちの地元頑張ってんじゃん」ってなるんですよね。間接的なインナーコミュニケーションというか。

 あと、市内の人に「うちの市は頑張ってるんだな」って思ってもらう。そういうことで内外の情報流通を活性化させていくと、東京の企業に出て行った、色々な知見を持った人や活躍している人たちが地元に戻って講演する、何年かかけて企業を誘致したり、仕事を生み出したり、そういう話に発展していく可能性がなくはないんですよ。そういう中長期的な視点のもとに、一発目として動画でやってみようとしたんですね。

 


 

人ひとりを説得する感じと似ていて。どう解きほぐしていくのかを素直に考えると、今回のストーリーになったという感じですね。

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――小林市のPR企画のWebページを見た時に、動画そのものだけでなく、認知のあとに小林市に住む高校生やおとなたちに動画を作ってもらうというPR全体のストーリーがとても明快に伝わってきました。ストーリーの作り方に対してこだわりがありますか?

 逆にこだわりはなくて。素直に素直に、今抱えてる問題がよくなるにはどうしたらいいかを考えると、自然とそうなったという感じですね。

 動画だと認知は取れても理解までいかないですし、ましてや移住もしてくれないので。最終的なゴールは明快で、(小林市に)仕事が生まれるっていうことだったんですよ。仕事が生まれるっていうのは、若者が増えるとか、まちが元気になるっていうことだと思うんですけど、それは10年20年かけてできるっていう話で。じゃあそうなるための5年先、10年先を先にプロットしたんですよ。

 まずは市内と出身者のコミュニケーションだし、そこから職業教育を強化していけば仕事が生まれるかもしれないと。それを順序立てて考えればああなったという感じですかね。実は、すでに高校生とワークショップを通して動画を作りたいという市役所の若手の方の強い思いがありまして。

 

――そうだったんですね。

 そうなんです。それは僕が想定したタイムラインともすごくマッチして。今日こんなことを学校で習ったんだ、こんなことをやったんだ、みたいなことを家で言うと、そんな仕事があるのか、そんな人が東京から来たのか、っていうのが会話になったりするじゃないですか。ひょっとしたらそれがニュースになるかもしれないし。(小林市の時は)地方局の方にお願いしてドキュメンタリー化してもらうとか、意図的にニュースにしていったんですけど。

 外から企業が入ってくることや新しい仕事をつくり出すことへの障壁もあるとは思うんですけど、こういう仕事が世の中にあるんだねっていう気付きになると、そこが緩和されるとか。徐々に人ひとりを説得する感じと似ていて。どう解きほぐしていくのかを素直に考えると、 今回のストーリーになったという感じですね。

 

――高校生みたいに若いころだと、大学生やおとなが関わってきたことから受ける影響っていろんな意味で大きいと思うんですよね。逆に越智さんが何かから影響を受けて、今の仕事に繋がっていることはありますか?

 何個かあるんですけど。僕は学生の時に半分工学部、半分芸術学部みたいな九州芸術工科大(現在の九州大学芸術工学部・大学院芸術工学府・大学院芸術工学研究院の前身)にいてですね。ずっと3DCGとかモーショングラフィックスをずっとやっていたんで、福岡のまちを中心にVJをやっていたんですよ。映像に関わっている中でいくつか出会いがあったんです。

 まずバイトに行ってた会社がKOO-KIさんっていう、福岡で有名な映像の会社(株式会社空気)なんですけど。

そこでマスクを1000枚くらい切るっていう仕事とかをやっていて。当時、エディターとかMVのディレクターになりたいと思っていたんですけど、会社の人が「広告代理店も受けてみたら?」って言ってくれたことが(広告業界を目指す)きっかけだったり。いろいろ作っていく中で、いわゆる表現の仕上げの作業をやるより、大本のプランを考えたり、課題に近いポジションで仕事をした方が楽しそうかもなっていうのを思ったことがありました。

 あと、ACC CMフェスティバル(一般社団法人 全日本シーエム放送連盟が1961年より行っている、テレビ、ラジオCMを対象にした広告賞)で、男の子がひたすら画用紙を塗りつぶすっていうCMを見たことですかね。知ってます?

 

――見たことあります。塗りつぶした画用紙が最後はクジラになるっていう。

 そうそう。それを見て、CMとか映像の力ってすごいなって思ったのも、広告業界を目指したきっかけではありますね。美しい、かっこいいだけではなく、強いメッセージや、人が記憶せざるを得ない大きなしかけもあって。

 今やっている領域とか、ワークショップとかに繋がっているのは、学生の時の活動ですね。当時も似たようなことをやっていて、福岡の一線でやってる社会人と学生を繋げて、新しいビジネスが生まれるきっかけを作れないかと思っていたんです。

 毎月社会人10人くらいに、どんな仕事をやっているかプレゼンテーションしてもらう。学生たちはこんな仕事があるんだっていうことに気付く。それが就活に役立ったり、就活せずとも、独立してこういう仕事やりたいっていうのを考えてくれるとか。それを卒業するまで2~3年くらいやってて。そういうのはありましたね。

 


 

CMプランナーとしての戦力外通告を受けた形で、いやだなぁと思いながら異動したけど、そこでゼロにしたというか。

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――やっぱり学生の頃にやっていたことや考えていたことって、直接的ではなかったとしても仕事に繋がっていきますよね。その後電通に入社されて、新人の頃はどのような仕事をされていたんですか?

 (電通には)うちの大学出身のOBもいないし、就職活動中は周りから(電通入社は)難しいんじゃないかと言われていたんですけど、運良く潜りこめて。で、2年目でクリエイティブに転局できたんですよ。僕CMプランナーになりたいって思ってたから、2年目にして夢が叶った形になるんですよね。

 でもそこから待ってたのは挫折というか、コピーの才能がまったくないということに気付いたんです。それまでは、映像の世界だから映像のことが分かっていればいいんじゃないかと思っていて。でも、CMにおいて僕らが求められるのは、実は脚本やメッセージなんだということにだいぶ遅れて気付いて。だからストーリーの切り口とかコピーもいまだに不得意ですけど。

 

――そうなんですか?すごく意外です。

 いやいやいや、全然不得意です(笑)。だからコピーもロクなものが書けない。CMコンテ書いて、「これは演出コンテだよ」とか「企画コンテになってないね」って言われても、ちんぷんかんぷんで分からなくて。

 はて、どうしたことか、と。CM全然うまくいかないな~っていうのが5年くらい続いたんですよね。ずっと先輩の下について、コンテのト書き(脚本で、セリフの間に俳優の演技、証明、音楽、効果などの演出を説明した文章)をひたすら書いたりしてました。それ以外の仕事もあるんですけど、僕が思い描いていた自分にはなってなかったですし、(電通入社)同期を見ると、3年目くらいなのに自分で責任もって1本仕上げたとかあるから焦るわけですよ。

 

――そうですよね。同期が先を行ってるって思うと焦りますよね。

 そう。だからどうしようかなって思ってたのが前半戦で。

 ただそこから、幸か不幸か異動させられることになって。Web系の方に人員が足りないって言うから行ってみたらどうだ、と。僕にとっては、CMプランナーとしての戦力外通告を受けた形で、とても後ろ向きな気持ちで異動したんですけど、そこで、こう・・・なんていうんですかね、ゼロにしたというか。

 

――ゼロ・・・。

 (電通に)入ろうと思ったきっかけはCMプランナーなんですけど、それは一回忘れようと。その時は、Webっていうと、CMプランナーのようなことができる部署じゃないんだろうなと思っていて。自分の中では本当に基礎からやり直しというか。

 SEO対策って分かります?

 

――分かります。今まさに勉強している最中です。

 それこそ関連ワードを200ワードくらい書き出すっていう仕事をやったりして。でもそれってもうコピーでもないわけですよ、作業なんですよ。でもひたすらそういうことを頑張ってやってどんどん積み重ねていくと、こいつはマスとWebの両方知ってる奴なのかなっていう見られ方をし出したりとか。

 デジタルの部署に移って、さらにWebプロデュースを主に行っている部署にインターンした時も不安で仕方なかったけど、行った先の人たちが親切でいろいろ教えてくれて。WebPRっていうものがあるとか、ペイドパブリシティとはなんぞやとか。僕も最初はちんぷんかんぷんでしたけど、CM枠を買うのとは別のやり方で、メディアリレーションを構築して人に届けるっていう方法があるんだなっていうのをそこで学んだり。

 


 

 企画者が一番企画のよさを知ってるっていうことは、リリースは企画者が書かなきゃダメなんじゃないかって思ったんです、素直に。

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 僕、リリース(企業からメディアに対して行う、新商品・新サービスの発売やイベント開催などの情報提供)も全部書くようにしてるんですよ。ネピアが最初かな。

 ネピアの時に、 企画者が一番企画のよさを知ってるっていうことは、リリースは企画者が書かなきゃダメなんじゃないかって素直に思ったんです。自分で徹底的にいいところを出して、見出しと、画像もメディア用に1MBくらいに圧縮したものを整理して、YouTubeの説明欄もぬかりなく全部埋めたんですよね。

 一見みんなが事務作業だと思っているようなことを全部クリエイティブ視点で思いっきりやったらどうなるのかっていうのを自分の中で実験したんですよね。で、やったらネピアがうまくいって。それがすごく効いたかは分からないですけど、効いた部分も結構あったと思っていて。

 

――YouTubeの説明欄に)英語でも説明を書いてましたよね。

 そうですそうです。英語でもちゃんと書くって、それまであんまりなかったんですよ。それくらいの頃から、日本語と英語で書くとか、説明欄をちゃんと埋めるっていうのが増えた気がして。

 

――流れを作ったんですね。

 だとしたら、とても嬉しいんですが(笑)。

 有名な作品ですが、「森の木琴」(NTT Docomo)がとても好きで。僕はあれを参考にしたんですね。ネピアの動画を作る時、どういう事例が似てるのかなって考えた時に、「森の木琴」だなと。それは映像の形じゃなくて、情報の流通の仕方を真似ていて。

 

――海外から日本に入ってくるっていう。

 そう、海外から。それまで、なかなかダイナミックにそっちに振り切るっていうのは多分なくて。要は、情報流通を想定したコンテンツメイキングとかプランニングをするということなんですが。

 ただネピアはメディア予算もなかったので、バナーとかも貼れないですし。だから自分でメディアにメールを送ったり、知ってる海外のサイトとかにもリリースの英訳を送りつけて。

 

――そうなんですね。地道な作業をコツコツと。

 地道な作業もやったし、Vineに向けて自分で切り出してgif動画を作って、Vineのリンクを送ってみたりとか、やれることをとにかくやりました。みんなが一見つまらないって思っていそうなことをまじめにやったら、それが結果に繫がった経験を僕は持っているので、いまだにその辺は気をつけていますね。


出典:Tissue Animals (nepia)

 だから、新人の時に「こうなりたいんだよな」とか「こういうことやろうと思ってたんだよな」ってことは、持ち続けられたらハッピーだし、いいことだと思うんですけど、それを持ち続けられない状況とかあるじゃないですか。

 

――はい。

 就活のタイミングでそれが来る人がいるかもしれないし、僕みたいに入社してしばらく経ってから来るかもしれないですけど、その時にどこまでそれにこだわるのか、それは判断だと思うんで。仕事はいつもそうですけど、判断をするってことはすごく大事だなぁと思っていて。今これを捨てるのか、思っていた道でもう少し頑張ってみるのかって判断することが大事かなと。判断したあとは、もう自分で判断したんだから、決めた方向で実直にやっていくしかないじゃないですか。

 

――そうですね、自分で判断したんだから、その道に責任を持つ。

 ただ、そっちでまじめにやっていって、すごくうまくいくかは分からないですけど、ちょっとくらいはうまくいくはずなんじゃないかっていうのは思っていますね。

 


 

 前編では、「ンダモシタン小林」の事例を中心に、Web動画を使ってPRを行うことに対する越智さんの考えや、Web関連の部署に異動したあと、どのように仕事に向き合っていったのか、そこから見出した越智さんの仕事のやり方について伺った。

 自分が選んだ道に責任を持ち、不本意ながらも進まなければならない道であっても、自分なりのやり方を見つけていく。地道な仕事にも取り組んだ先に今の活躍を掴んだ越智さんの言葉には説得力があり、CM動画もWeb動画も知っているからこそ成せる越智さんの考え方がバックグラウンドにあることを感じた。

 後編では、越智さんが失敗から学んだことや、越智さん自身が仕事にときめいた瞬間について伺った内容を掲載。

  後編はこちら

 

profile1越智一仁 Kazuyoshi Ochi
CDC / Dentsu Lab Tokyo
コミュニケーション・プランナー

得意分野:デジタル・クリエーティブ全般。特に映像ディレクションを軸としたシェアラブルなコンテンツ企画やコミュニケーション・プランニング。その他、WEB・ソーシャル施策、プロダクト開発など。

経歴:1980年生まれ。2005年九州芸術工科大学大学院・芸術工学府修了。3DCG、モーショングラフィック専攻。同年電通入社後、営業、コピーライター、CMプランナーを経てCDC / Dentsu Lab Tokyoへ。

王子ネピアのブランドフィルム「Tissue Animals」では、映像表現のクラフトと海外からの逆流PR施策を掛け合わせ、話題化に成功。宮崎県小林市のPRムービー「ンダモシタン小林」では、方言の聞き取りにくさを逆手に取り、「誰もが必ず2度見たくなる」動画を企画。180万回以上も再生され、媒体費0で50番組以上、額にして10億円を超える広告露出を獲得し、地方自治体のPRムービーブームのきっかけに。最近の仕事は、セイコーホールディングスのブランデッド・ミュージックビデオ「Art of Time」など。

受賞歴:アヌシー国際アニメーション映画祭:グランプリ、ワンショー:シルバー、アドスターズ:シルバー、アドフェスト:ブロンズ、TCC賞、広告電通賞、JAA広告賞:経済産業大臣賞、ギャラクシー賞:優秀賞、ブレーンオンラインビデオアワード:グランプリなど。