井筒啓之プロフィール:井筒啓之
1955年香川県生まれ、東京育ち。イラストレーターとして第一線で活躍し、特に書籍の装丁イラストでは浅田次郎「鉄道員(ぽっぽや)」や酒井順子「負け犬の遠吠え」を始め、数多くの話題作の表紙を手掛けている。イラストレーション青山塾の講師を務めるなど、後進の育成にも力を注いでいる。1984年日本イラストレーション展入選、1998年 講談社出版文化賞受賞。


※この記事はamanaimages.comで過去に掲載されたものです

 

井筒啓之さんにお話を伺いました

「鉄道員(ぽっぽや)」「負け犬の遠吠え」など話題作の装丁イラストで知られる井筒啓之さんにお話を伺いました。

──イラストレーターを目指したきっかけは何ですか?

子供の頃から絵を描くのが好きで、マンガ家志望少年だったんです。そしてアニメーションの学校を出て、最初はアニメーターとして働き始めました。イラストレーションというのをちゃんと知ったのは会社に入った頃、湯村輝彦さんとか河村要介さんのイラストが世に出てきて、かっこいいなと思って「イラストレーション」っていう仕事を意識し始めて、イラストレーターになりたいと思いました。
自分がやりたいものって何だろうと考えたときに、好きなものを仕事にしたいという思いがあって、子供の頃時間を忘れて絵を描いていた記憶があって、やっぱり描くことが好きなんだと思ったんですよね。

──イラストレーターとして本格的に仕事し始めたのは?

初仕事は僕の中に2つあって、最初の仕事はアニメーターの延長みたいなもので、広告で使う絵をアニメーションにするために背景と人物を別々に描き起こすというものでした。
自分の絵が使われて印刷物になったのは、マガジンハウスのクロワッサンの仕事でした。売り込みに行っ時に「暑中見舞いのはがきの特集をやるから、宿題として描いてきて、良かったら使うよ」ということだったのですが、なんの連絡もなくて、ある日クロワッサンみたら自分の絵が載ってて慌てて電話した、という(笑)でも、その後もマガジンハウスではいろいろな雑誌で絵を使っていただきました。

井筒啓之
──印象に残っている仕事はありますか?

2002年から2004年にかけて、朝日新聞の夕刊で柳美里さんの「8月の果て」という小説の連載が始まることになって、イラストを担当することになりました。その時、柳さんと「一緒に走り切りましょう」という話をしたんです。柳さん自身もマラソンする方ですが、マラソン選手だったおじいさんの話を書くことになっていて、新聞連載もマラソンのようなもの、長い道のりを一緒に走り切りましょう、と。

連載当初は1週間分の原稿が来たのですが、その後は〆切り当日に原稿が来るようになりました。学芸部の締め切りは18時で、日曜日以外は毎日お昼に原稿を受け取って、夕方までにイラストを描く生活が1年くらい続きました。その後、夜の9時に柳さんの原稿が来るようになったんです。〆切りも本来ニュース記事の時間帯である夜中の12時になってもう後がないところまで追い込まれました。毎日綱渡り状態です。まさに伴走している感じです。それが1年近く続き結局連載は打ち切りになってしまいました。

その時、小説家は媒体がなくても最後まで書いて本として作品を完成することが出来る、でも僕の「8月の果て」はこのままだと完結できないんですよね。それで「僕は媒体なしでいい、最後まで一緒に走ってゴールしたいから、今まで通り原稿を送ってほしい」と柳さんに言ったんです。要は原稿料なしでいいから描かせてくれということです。柳さんもOKしてくれて、連載と同じようにイラストを描き続けました。そして、続きが「新潮」に掲載されることになり、今度は雑誌の〆切りに合わせてイラストを描くことになりました。結局、598枚のイラストを描きました。連載からの2年、二人三脚で走り切った濃密な時間は貴重な経験でした。

井筒啓之
──仕事で意識されていることやポリシーはありますか?

広告の仕事をさせていただくときは、広告主が何を伝えたいかを踏まえたうえで自分の絵でどう表現するか。本の場合は小説の言葉の向こうにある作家の思いを絵にする、ということを意識しています。僕に絵を注文してくれたクライアントが伝えたいことを視覚化して表現する、ということを大切にしています。

ただ、クライアントの望むものなら言われるままに描くということではないと思います。イラストレーターには絵描きとしての見方捉え方があり、その上に立った職業としての視覚伝達論があるわけです。例えば建築家が耐久性も生活動線も無視した要望があっても、そういう家は作らない。それと同じことだと思います。プロの視点でクライアントときちんと打ち合わせ出来る、それが質のいいイラストレーションに繋がっていくと思います。感覚的に良いとか悪いとか、好きだとか嫌いだとかを優先していると思われがちですが、イラストレーターは決してそうじゃないです(笑)

井筒啓之
──後進の育成や、若いイラストレーターとの交流はいかがですか?

イラストレーター青山塾というイラスト教室の講師を17年やっていて、そこで学んでいた教え子がいまもうプロのイラストレーターとして活躍していたりします。最近はツイッターやFacebookとのやり取りも多いですね。ですから会ったこともないし顔も知らないけど作品と名前を知っていて、それで交流関係が築けたりします。

僕は若い人たちの仕事のやり方から学ぶことも多いです。例えば、僕が絵をデータで送り始めたのはここ数年の話で・・・それまでは原画を取りにきてもらってましたから。始めは絵をスキャンして、そのままのデータを送ったりしていたんですが、印刷物を見てなんか違うなと思ったら、若い人たちはスキャンした画像データをさらにいじったりしていたんですよね。そういったことも若い人とのやりとりの中で知るわけです。あと感覚的な事にしても今の状況にフィットする格好いい表現とか。僕も自分の経験から伝えられることがあるけど、若い人たちからもらう情報もありがたいです。

井筒啓之
──最後に、アマナイメージズと取り組みたいことや期待することはありますか?

アマナイメージズに期待すること、というより僕が期待に応えられるかが気になりますね(笑)
今、自分の作品をインターネット上に出していかないと、インターネットの世界では自分は存在しないことになってしまう。だからインターネットの領域で広い陣地を持っていたいと思っていたので、アマナイメージズはありがたい存在です。以前は新しく描き下ろすチャンスがなくなるとかネガティブな考え方もあったと思いますが、もう時代がそうじゃないので。アマナイメージズならそのあたりの拡散力とか影響力がかなり高い、と思ったんです。
あとは、アマナイメージズにはエージェント的な動きも期待できるといいな、と思っています。イラストレーターって、営業ができないという宿命を背負った人たちなんで(笑)その弱点を埋めてもらえればうれしいです。クリエイターやデザイナーのSNSみたいなものも、できたら面白いですね。

井筒啓之

(2014年1月23日 インタビュー)

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