2017年に注目の展覧会といえば、3月8日から六本木の国立新美術館で開催されている「ミュシャ展」でしょう。特に注目されているのが、チェコ国外では初めてとなる、20点からなる大作「スラヴ叙事詩」全点の展示です。
そこで、国内最大級の美術品画像を取り扱うアマナイメージズが「ミュシャ展」に先立ちアルフォンス・ミュシャの魅力をご紹介します。
1.アール・ヌーヴォーの寵児へ
日本でも人気の高いアール・ヌーヴォーの巨匠、アルフォンス・ミュシャは、1860年、現在のチェコ共和国(当時のオーストリア帝国領モラヴィア地方)に生まれます。ミュンヘン、パリで美術を学んだ後、パリで雑誌や本の挿絵を描いて生計を立てていましたが、30代で転機が訪れます。
35歳のとき、当時のパリ演劇界のスター、サラ・ベルナールの「ジスモンダ」のポスターを制作すると一躍脚光を浴び、その後も次々とサラ・ベルナールのポスターやさまざまな広告、装飾パネルを手掛け、ミュシャはアール・ヌーヴォーを代表する芸術家となりました。

ミュシャによるサラ・ベルナールのポスター
2.帰郷と「スラヴ叙事詩」
ミュシャはパリでアール・ヌーヴォーの寵児となりましたが、その一方で自身のルーツであるスラヴ民族の歴史や文化に深い関心を寄せていました。そして1910年、アメリカ人の富豪チャールズ・クレーンの援助を受け、50歳で故郷に戻るとスラヴ民族の神話と歴史を描いた大作「スラヴ叙事詩」の制作に取り掛かりました。
ミュシャは17年の歳月をかけ1928年に20点からなる「スラヴ叙事詩」を完成。「スラヴ叙事詩」全20点がチェコスロヴァキア共和国の独立10周年を記念して公開され、プラハ市に寄贈されました。

「スラヴ叙事詩」を描くミュシャ
3.「スラヴ叙事詩」の数奇な運命
ミュシャが後半生をかけて制作した「スラヴ叙事詩」ですが、この作品はその後数奇な運命を辿ります。
完成から間もない1939年、チェコスロヴァキアはナチス・ドイツやポーランドに割譲され、「スラヴ叙事詩」はナチスの略奪を防ぐために密かに隠されたといいます。さらに第二次世界大戦終結後、チェコが共産主義国家となると、ミュシャの作品は共産主義のイデオロギーとは相容れない時代遅れの遺物として黙殺された存在となります。
しかし1960年代になると、“時代遅れで退廃的な”芸術と見做されていたアール・ヌーヴォーの再評価がはじまり、ミュシャの作品も再び評価されるようになります。そして今日では、ミュシャはチェコの国民的画家として高く評価され、「スラヴ叙事詩」はチェコの至宝としてプラハのヴェレトゥルジュニー宮殿で公開されています。

「スラヴ叙事詩」より「原故郷のスラブ民族」
4.ファインアートの画像を商用利用するには
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